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室蘭放射線技師会の沿革

 室蘭は明治時代から鉄の街、港の街として発展してきました。
医療においても公立病院や企業付属病院が早くから担っており、道内でもいち早くエックス線装置が設置された地域でもあります。

1908年(明治41年)に室蘭町立病院(市立室蘭総合病院)に、1911年(明治44年)には、日本製鋼所病院(日鋼記念病院)に設置されています。
太平洋戦争真っただ中の1945年(昭和20年)には日本でただ一本しかない回転陽極エックス線管が日本製鉄中島病院(製鉄記念室蘭病院)に設置されています。
ここで撮られたエックス線写真は高く評価され撮影技術論の草分けとなりました。
 その後も放射線装置の目覚ましい開発により放射線治療装置、CT装置、MRI装置、PET装置など積極的に導入しており医療の街としての一面も持つようになりました。

室蘭放射線技師会の生い立ちは1946年(昭和21年)になります。
市立、日鋼、富士製鐵(製鉄記念室蘭)などの病院の技師10数名によって、
 横のつながりが薄かった日本レントゲン技術員学会北海道支部室蘭地方会を各施設の技師がまとまって気楽に勉強会や情報交換会が行える会として発足させました。
その地域は豊浦、虻田、伊達、室蘭、登別におよんでいました。
年に1、2度の集まりではあったが熱い意見が交わされていた様子です。
 1948年(昭和23年)には技術員学会が技術学会と技師会に分離しました。
これにより技師会は国家資格や身分法の制定運動が主となり、撮影技術の勉強は技術学会で行う事となります。
 1953年(昭和28年)には伊達地区が分離独立をしました。
これは当時室蘭で行われていたレントゲン技師特別試験のための講習会への参加が遠方からでは難しいとの理由からでした。

1973年(昭和48年)には『室蘭放射線技師会規約』を制定しました。
1984年(昭和59年)には全道野球大会にて念願の優勝も達成しました。
現在も発足当初と変わらず勉強会、レクレーションなどの活動を通して技師の資質向上に努めています。

室蘭放射線技師会は多くの優れた先輩諸兄に育てられ今日まで発展してきました。
これからも最先端の医療を提供する技師としての自覚をもち技術を高めていかなければなりません。
そのバックアップとして技師会は応援していきます。
そして市民に安心してもらえる良質の医療を提供していきます。

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